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    了玄の経橋

    • 2015.11.30 Monday
    • 04:14
    JUGEMテーマ:ぶらり旅
    大井川流域の民話・伝説・むかし話 目次へ
    昔、京の都に夢窓国師という大層えらい和尚さんがおりました。 その国師が「疎石」と呼ばれた、まだ若い頃のお話です。 修行の、為地に、弟子の了玄を連れて京を出立した疎石は、 行き先を子供のころ立ち寄ったことにある家山の里に決めました。 家山の落ち着いた疎石は、幼心に映った美しい 野守の池の畔に庵を構え、熱心にお経を唱えたり、托鉢に出かけては、村人に説法したりしました。 こうした修行に明け暮れる疎石の様子は、たちまち村中の評判となりました。 そして、京から立派な和尚さんが来られたということで、村人たちは 聖副寺という大変立派なお寺を建てて、もっともっと教えを請うことになりました。 疎石は大層喜んで、村人たちの温かい心に報いるためにも、了玄と手伝いの僧の了順と共に一層修行に励みました。 村人たちも何か困ったことがあると、聖副寺に集まっては、和尚さんの法話を受けることも、たびたびでした。 こうして、家山の里で長い年月、修行を積んだ疎石は、「日本国中には、まだまだ立派な和尚さんが大勢 おられるにちがいない。もっ と修行をしなければ ・・・・・・・・・ 。」 「そうだ もう一度、 日本国中を回ることにしよう。 」 そう、 決心した疎石は 住み慣れた家山の地を離れることにしました。 二、 三日前から降り続いていた雨も、すっかり晴れあがって、 境内の 杉小立の中は ひんやりするほど気持ちのよい朝です。 今日は、 いよいよ疎石と丁玄が出立する日です。 この話を聞いていた 村人たちは まだ薄暗いうちから大勢 お寺につめかけてきました。 赤んぼうをおんぶった母親、野良着姿の男衆、 手ぬぐいを片手に杖を持った年寄りなど、 境内は それはそれは賑やかなものでした。 「和尚さんには、 まっとこの寺に居てもらいだいもんだがのう。」 「何とか、 お引き止めすることは、できんだったかのう。」 「ふんとに、 惜しいことだけえが、 これも和尚さんの修行のためじゃで なぁ・・・・・・。」 ああこう、ささやき合っているうちに、端正に旅支度を整えた疎石と 了玄が姿を現わしました。その後ろには、荷物を抱えた了順もいます。 二人の姿に気づくと、今まで、ざわっついていた境内は水を打ったように シーンと静まりました。 村人たちを前にした疎石は 深々と合掌すると一人ひとりの顔を じっと見渡していきました。そして、穏かな口調で最後のお別れの法話 をすると、 村人の中には目頭を押さえる者やすすり泣く声さえ聞こえて きました。それを見ていた疎石の胸にも、思わず熱いものがこみあげて きました。 話を抱えた疎石は、 再び村人たちに手を合わせていねいにおじきをすると、 寺を後にしました。 いつしか、朝日が三人の旅立ちを見送るかのように、さし始めてきました。 三人は、 大井川にさしかかりました。 二、三日前からの雨で、川は水 かさを増し、 濁流が、 ゴーゴーと音を立てて流れていました。 「ひどい水かさだ。和尚様、これでは、とうてい渡ることはできません。」 了玄は、心配そうに言いました。 見送りにつ いて来た大勢の村人も、疎石のそばに馳け寄って、 「和尚様、この大水じゃぁ、何にしてもご無理なことじゃ。 もう少し、 水が引いてからにしたらどうかのう。」 と、 引き止めようとしまLた。 疎石は、しばらくの間、じっと濁流を見つめていましたが、 たもとか ら数珠を取り出すと合掌をし、静かにお経を唱え始めました。 「かんじーざいぽーさつ、 ぎょうじん、 はんにゃあーはーらーみった.............. 。」 了玄をはじめ、 周りの人々も、 じっ とこの様子を見守っていました。 やがて疎石は、 持っていた経本を 取り出すと、 向こう岸めがけて、 「えいっ。」 と、 投げつけました。 経本は、さらさらっと広がり なんと ら向う岸へと経橋ができたで、はあり こちら側から向こう岸へと経橋できたではありませんか。 ませんか。 村人たちが、あっと驚くまもなく、 疎石は、すでにお経を唱えながらそ の橋を渡りかけていました。 すぐさま、弟子の了玄、そして了順と渡り始めました。 ざゃあてい、 ぎゃあてい、 はー らーきゃあてい、 ・・・・・・・・・ 。」 お経の橋は、 三人が渡ってもびく ともしませんでした。 村人たちは、経橋を渡っていく三 人を見つめて、 あれよ、 あれよと指さしながら、 ただ唖然としているだ けでした。 「 ・・・・・・・・ はらそうぎゃあてい、 ぽーぢーそわかー、 はんにゃあ しんぎょうー」 三人の唱えるお経の声も ゴーゴーと鳴る大井川の激流の音に、時々か き消されそうになります。 「どうか、ご無事で向う岸へ着きますように・・・・・・。」 村人たちも一心に祈り続けました。河原に座って祈る者 両手を合わせ て祈る者、 親子抱き合って拝む者など様々です。 ようやく、 橋を渡り終えた疎石は、 「懐かしい家山の里とも、いよいよこれでお別れになるのか ・・・・・。」 と、ふと思ったその時です。 荷物を持っていた了順が、 どうしたことか、ふらふらっと足元を乱して 落ちそうになりまLた。 すくに気がついた了玄は、素早く手を差し出し て 片腕をつかみました。 しかし、 すでに片足を踏みはずした了順を助 け上げることはできず、 二人は、抱き合うようにして、濁流の中に落ち てしまいました。 この様子を見ていた村人たちは、 たちまち蜂の巣をつついたように、 大騒ぎになりました。 「了玄さまー。」「了順さまー。」 村人たちは、 てんでに大声で叫びながら、土手の上や川原伝いに駆け下 りました。 助けを求める間もあらばこそ、頭や腕が二度三度、波の上に出ただけで、 あっという問に二人は、波に呑み込まれてしまいました。 村人たちの大声で、はっと振り返った疎石の眼に、もがきながら流さ れていく二人の姿が映りました。 疎石は、 川下に向かって一心不乱にお 経を唱えました。 やがて、疎石は、こみ上げてくる涙をこらえて じっと天を仰いでお りました。 幾日かたって、 二人の死体は、下流の高熊の辺りで見つかりました。 疎石と村人たちは、深く悲しんて手厚くく葬ってやりました。 その後、村人たちは、二人が川に落ちた近くに石碑と小さなお堂を 立てて供養をすることにしました。 それで、この辺りを今ても 「了玄」 という地名で呼んでいます

    (了玄の経橋より)

    伝説「了玄の経橋」と碑 家山の野守の池のほとりに国師堂がある。 昔この所に京都の名僧・夢想国師の開いた正福寺があった。 しばらくこの寺に滞在した国師は、やがてこの池を去るにあたって 大井川に経橋をつくり、これを踏んで川を渡り駿河の国にへ行きました。 国師の弟子に了玄・了順という僧がいて、国師に倣って経橋を渡ろうとしたが、 どうしたことか法力が国師に及ばず、橋の中頃に至って濁流に落ちてしまい、 その死骸は下流の金谷高熊の川岸に流れ着いたと伝えられている。 了玄・了順のお堂は150m程離れて、別々にあったが道路改良により、 このお堂に共に祀られるようになった。
    (案内看板より)

    大井川鐵道本線の家山駅から徒歩で7-8分位の所に、了玄・了順の地蔵尊と碑はあります。 桜トンネルをぬけたら直ぐの所です。 これが、了玄・了順の地蔵尊のお堂です。
    お堂には、2体の石仏が祀られています。 左が了玄、右が了順です。
    この写真は、了玄の碑になります。伝説と案内看板の内容に少し食い違いがあるようです。どちらが正しいのかは解りませんが、私的には、先に書いた伝説の方が好きです。

    *了玄・了順の亡骸が見つかった高熊は、福用の近辺に地名が残っています。

    夫婦滝

    • 2015.11.29 Sunday
    • 07:28
    JUGEMテーマ:ぶらり旅
    大井川鐵道本線の塩郷駅から徒歩で2-3分分位の所にこの滝はあります。 車ですと、県道77号線沿いの塩郷の吊り橋付近で、滝の看板があります。 落差は7mなのですが、二条の流れが寄り添う様は、仲睦まじい夫婦の姿を思わせます。 この写真が滝の全体像です。落差が小さい滝なので、雄大感というよりも、自然の優しさを感じさせてくれます。

    滝の上部です。二条の流れはこの部分で創られています。

    滝つぼの写真です。この場所は、夏場でも涼しく、一時の清涼を味合わうことができます。

    不動の滝

    • 2015.11.29 Sunday
    • 06:51
    JUGEMテーマ:ぶらり旅
    大井川鐵道本線の下泉駅から徒歩で20分位の所にこの滝はあります。 下泉駅を出て、県道77号線を右手方向に少し歩くと川が流れていますので、そこを入っていきます。 そして、不動の滝自然公園に向って歩いていくと辿り着く事が出来ます。写真は、不動の滝の入口です。 ここから約20mほどで滝に着きます。徒歩で約5分位です。

    入り口を入ると直ぐに、不動神社が見えてきます。 ここからは、うっそうとした山に入っていきます。遊歩道が設けてあるので、道中の足元は心配ないと思います。 道中は、2カ所の橋を渡ります。

    落差約45m・幅約10mの不動の滝、荒々しい岩肌を優雅に流れ落ちる様は、一見の価値があると思います。 大きな落差と複雑な流れに加え、豪快な水の落下する音も加わり迫力十分で、神秘的な空間を創り上げています。 新緑の季節にはみずみずしい緑の世界、真夏には自然のすずしさ、 秋には鮮やかな紅葉、冬は厳しい自然の姿で、美しい景観を四季折々楽しむ事が出来ます。

    沢には澄み切った水が流れています。せせらきの音で癒されます。

    不動神社

    • 2015.11.29 Sunday
    • 06:50
    JUGEMテーマ:ぶらり旅
    大井川鐵道本線の下泉駅から徒歩で20分位の所にこの神社はあります。不動の滝に行く途中の、遊歩道を歩いて直ぐの位置です。
    不動神社には、日本武尊(やまとたけるのみこと)が祭られています。例祭は7月28日に行われます。不動の滝の守り神として崇められ、多くの人が参拝に訪れます。 不動の滝は、小河内川の支流に当る横沢の下流に位置し、高さ45mの雄大な地域を代表する名瀑です。 (季節を映し出し、それぞれに変化する風景は、四季を通じて人々を魅了しています) 横沢には「わん淵」という昔話が、今に伝えられており、不動の滝が、古くから地域の人々から崇められていた様子が伺えます。
    (案内看板より)
    この神社は、明治維新の時、廃祠されてしまったのですが、その時の神主が祭りをやめるに忍びず、自分の家の斎床にうつして奉斎し、現在に至ると伝えられています。 不動神社を石段から正面に見た写真です。小さな祠に鞘堂が建てられています。この事からも、信仰の厚さを伺い知ることが出来ます。
    これが祠の写真です。中には厨子が納められているようでした。

    地名(じな)という地名(ちめい)

    • 2015.11.28 Saturday
    • 05:46
    JUGEMテーマ:ぶらり旅
    大井川流域の民話・伝説・むかし話 目次へ
    地名村は、江戸時代以前から駿河国志太郡地名村として存在していました。 1889年(明治22年)には、志太郡徳山村大字地名となり、1956年(昭和31年)には合併して中川根村字地名となりました。 「地名(じな)」の地名の由来はというと、「川名」、「山名」といったものと同様に、 「○○のところ」というように使用されたものらしいのです。地図でみると分かりますが、山が迫った この地域では、居住に適した場所は限られていて、わずかな平地でも有効に利用されています。「地名」は「そうした土地のあるところ」の意味だといわれています。 この地は、大井川の川止めのさいには、藤枝宿から山間部を抜けて、対岸の「石風呂」 へ盥(たらい)舟を利用して渡った場所で、これを「地名の廻り越し」と呼んだといわれています。この盥は、個人の持ち物ではなく、集落が作成し管理していたものです。盥越しは違法には違いなかったのですが、 幕府もこれを厳禁することまではできず、黙認扱いだったようです。 地名・石風呂間以外にも、長島・梅地間、千頭・小長井間、崎平・三盃柳瀬間、藤川・堀之内間、水川・正島間、上長尾・ 田野口間、下長尾・下泉間などで、よく行われていたそうです。
    地名の阿弥陀堂

    西地名へ向かう道

    水田地帯

    雪の降った日

    中津川水路橋

    • 2015.11.27 Friday
    • 09:14
    JUGEMテーマ:ぶらり旅
    大井川鐡道本線の下泉駅から徒歩で40分位の中津川起点に、この水路橋はあります。 場所的には、362号線を北上し、およそ1km程歩くと左側に、旧道の分かれ道があるので旧道側に進み、 小さな橋を越えたら左に曲がる道があるので、そこを進みます。しばらく山道を登ると中津川起点の標識があるので、そこから下を見て下さい。 道路が高い位置にあり、水路橋を見下ろす形になりますが、見つける事は出来ると思います。 大井川電源開発という会社が1944年(昭和19年)に建設したコンクリート製のアーチ型水路橋です。 現在は中部電力の所有になっています。 この写真が、中津川起点の標識です。中津川水路橋は、 樹木が多くて見通しが効かないため、肝心の水路橋が見つけにくいので、この標識が目印となります。

    道路より向かって左側の写真です。樹木が多い事と、水路橋が架かっている場所が谷間のような所でかなり急なっている事で、 全景を見渡す事は出来ません。

    道路より向かって右側の写真です。こちら側からは、水路橋の様子がみてとれます。 戦時中の工事なのに、中々良いデザインの水路橋だと思います。長尾川水路橋の様に、 色付けはされていません。

    水路橋の上部です。危険なので、水路橋の上には行かないでください。 水の流れは、再び山々を貫き、塩郷久野脇発電所までばれていきます。

    崎平の巨人伝説(ダイラボッチ)

    • 2015.11.27 Friday
    • 07:21
    JUGEMテーマ:ぶらり旅
    大井川流域の民話・伝説・むかし話 目次へ
    「崎平」には、千頭と共に、共通の巨人伝説が残っている。 これは童話伝説である。すなわち「昔、ダイラボッチという巨人があって、千頭にほど近い所に高い山を作ろうと思い、 もっこに土を入れて運んでいた。もっこを肩にかついで、千頭の郷平までやって来ると一軒の家の中から女の歌う声がもれ聞こえたので、 巨人は夜が明けるのだと思い、もっこを投げ出して姿をくらましてしまった。そのもっこの土が小山をなして郷平には二つの山が盛り上がっているといわれる。 また、ダイラボッチは、ある時、大井川を一跨ぎにまたいで、川の水をすすり飲みして、飲み干してしまった。 その時の、踏ん張った足の跡が遠江の山と駿河の山とに2カ所、山の頂上に残って足窪とよばれるようになったという。 この大井川の水から飲み干したダイラボッチが、崎平へ来た時、そこで放尿をした。それが肥料となって崎平のごぼうは出来が良く、有名になったというのである。
    「大井川物語(昭和37年10月1日から静岡新聞に掲載)」原文のまま。
    千頭・郷平の風景
    (近い内に掲載します)
    崎平の風景
    この写真は、秋に撮影したもので、362号線の大井川発電所(川根本町崎平字ハタマシマ)付近からの風景です。 大きく蛇行した大井川、霞がかかった山々は色付き始めています。右手前にはススキの穂が開き、秋を思わせます。


     

    大井川発電所

    • 2015.11.27 Friday
    • 07:10
    JUGEMテーマ:ぶらり旅
    このダムは、大井川鐵道本線・青部駅からおよそ500m位の所にあります。 車では、367号線から眼下に見る事が出来、水圧鉄管の直ぐ横を通るので、 昭和9年(1934年)に着工し、昭和11年(1936年)に運用が開始されました。 所在地は、川根本町崎平字ハタマシマ。 運用開始当初は、大井川電力でしたが、現在では中部電力の所有となっています。 写真は、367号線から見える水圧鉄管。この時は、何か工事をしている様子で、銀色のシートが掛けられていました。道路沿いなので知っている方・見た事のある方も多いと思います。

    この写真は367号線から見た発電所の全景です。紅葉と発電所、人工産物と自然が共存している風景です。

    赤松発電所

    • 2015.11.26 Thursday
    • 08:16
    JUGEMテーマ:ぶらり旅
    この発電所は、島田市コミュニティーバス相賀線の赤松発電所で下車すると目の前にあります。 JR東海道本線の島田駅よりおよそ6,0kmの所です。 車の場合は、64号線の神座から相賀方面へ曲がる道があるので、そこを曲がると1分程で左手に見えてきます。

    左手には発電部分、右手には赤く塗られた桁の様な構造物。その手前にカプラン水車のランが展示してあります。 運用開始当時(昭和32年[1957年]10月)は中部電力が所有していたのですが、現在は地名発電所と交換した為、 東海パルプの所有になっています。

    この写真は、右斜め方向から見た赤初発電所です。小ぶりな発電所ですが、それなりに迫力があります。

    柵で囲まれた発電所の横には、現在の発電量を示す電光掲示板があります。 私が訪問した時の発電量は6389kwでした。

    地名発電所跡

    • 2015.11.25 Wednesday
    • 04:27
    JUGEMテーマ:ぶらり旅
    この発電所跡は、大井川鐡道本線の地名駅から500mほどで、徒歩で5分位の所にあります。 以前は、建物が残っていたのですが、老朽化の為に解体されました。 東海紙料(旧大倉財閥に属した製紙会社で、現在の東海パルプの前身)の発電所として、 明治43年(1910年)に運用が開始されました。運用開始当時の認可最大出力は2250kwと 日英水電(株)小山発電所の1400KWよりも出力が高かった発電所でした。 昭和6年に一時閉鎖となりましたが、再開されました(認可最大出力1000kw)。 川口発電所の建設の為に、赤松発電所と交換し、昭和36年(1961年)3月31日(中部電力所有)まで運転されましたが、 廃止されました。 この写真は、大井川から地名発電所へ水を送るための隧道跡(左側)です。2つあるのですが、右側はかなり土砂に埋まり、 遺構が見難くなっています。

    この写真は、解体された地名発電所跡です。砕かれた赤レンガが敷き詰められた形で存在しています。
    在りし日の地名発電所(1)
    在りし日の地名発電所(2)
    在りし日の地名発電所の写真は、水力ドットコムからの転載許諾をいただいております。

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