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  • 2016.01.24 Sunday

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    佐澤薬師の祭典

    • 2016.01.08 Friday
    • 06:25
    塩郷駅を出て左方向(北)に進み塩郷ダムを越えて対岸の久野脇地区に入ります。 ちょっと変形なT字路にぶつかるので、 そこを左に曲がり、しばらく歩くとお茶工場があるのでそこを右に曲がり山道を登って行きます。 お薬師様のお祭りなので、山道を登る所に、大きなのぼりが立てられていました。 山道を登り、お薬師様の所まで来ると、木々に提灯がつけられていて、灯りがともされていました。境内も、おでんや振る舞い酒のテントが張られ、ほのぼのとしたお祭りの様相です。手前右側には、トラックの荷台を使って、カラオケコーナーも設けられていました。また、ひょんどりは行われませんが、当時を偲ぶかのように、大きな焚火がたかれていました。佐澤薬師堂も、参拝者のために、仮設のスロープが設置されていました。お年寄りへの思いやりでしょうか。お堂に向かって右側の子持ち石のお堂も、灯りがともされています。

    薬師堂の中の様子です。お薬師様の厨子が開かれ、そのお姿を拝めるようになっていました。その前には、様々な供物が並べられています。その横には、十二神将が並んでいます。小さな厨子も開かれていました。

    この写真が佐澤薬師のお姿です。中々美形のお薬師様です。

    小さな厨子には、阿弥陀如来立像が納められていました。厨子を開いているので、そのお姿を見ることが出来ます。優しい顔つきの阿弥陀様です。この阿弥陀如来については、伝承ははっきりしないということですが、地域のお年寄りは、以前この地区にもお寺があり、廃寺になった時に、智満寺ではなく、佐澤薬師堂に納められたのではないかということです。

    佐澤薬師のひょんどり(徳山のひょ踊り)

    • 2016.01.02 Saturday
    • 05:16
    遠江古跡図絵に「粟ヶ嶽の北に帯山あり。高山にて難所なり。絶頂に観音堂あり。霧深のくして人跡稀なり。 仏法僧と鳴く鳥住む。毎年正月十八日、観音の縁日なれば、近在より参詣あり。ひょ鳥踊といふ踊あり、誠に古風の残れるなり。 近在より参詣の男女寄合いて踊る。是を見るに、おかしき歌を諷ひ、しどもなき踊なりとぞ。 後にて、鬼踊とて荒々しく踊るとなむ。ひょ鳥踊とて、秋葉の近在川根辺にあり、今は絶えて往古程は踊らずとなむ。 帯山には年々例を欠かさず、これあるよし云伝えふ。又、三倉村大日堂金剛院に、毎年正月七日鵯(ひよ)踊りあり。」という記事がある。 こうした古風な踊りは次第に後を絶ってゆき、昔、この地方全般に行われたという鵯踊りも、今では、久野脇の発電所のすぐ西にある三ツ間部落の、佐澤薬師と 大井川対岸、徳山の子安の森とに、その面影をとどめているだけだということである。 鵯踊りは毎年正月の七日の夜から八日の朝まで徹夜で踊るそうである。一説には、昔、雹が降り続りつづいて、人々が難渋したので 雹取りの歌をうたい、踊りを踊って雹が降らないように祈ったと伝える人もいるが、踊りの時の昔から歌われている歌詞には、そういう雹取りの願いを込めたものは 一つも無いので、この伝承は怪しいとされている。 この踊りは、夏の盆踊りのように、大勢が輪になって一人が音頭をとると、残りの者がこれに付けて歌う。 歌は時に早くなり、また遅くなる。若い男女が入りまじって踊るので、意思を通じ合う機会が多く、昔は、結婚を申し込むと、親が 「ひよ踊りで約束したか」とたずねたものだという話である。 今日の若い人たちは古い歌は知らないが、リバイバル・ブームの起こってきたこのごろのことだからこうした踊りや歌の行事は、復活しつつあるかもしれない。 古老から伝えられた歌詞の一・二を記して置こう。
    「心よく持て峰の花、心わるいと風に逢う  心わるくはござらぬか、立場悪くて風に逢う」
    「子持ち姿で子のなきは、鳥の巣殺しなされしか  鳥の巣殺しゃせぬが、殿さしたかもわしゃ知らぬ」
    「東山から西山へ、青い女人の影がさす  青い女人の影ではなくて、青い羽織を着た殿だ
    新編駿河記に、鵯(ひよ)踊りとして、志太郡伊久美郷白井のくだりに、 「むかし永様、天正(1560〜1590年)の頃、大橋源太と言う富饒の者、世々此里に居住するという。 かの源太の世にある時の様を、ひな歌に作りて、山中のひょどり踊りにあわせてうたうことあり。 其歌にいう、白井小路の三本の松。あの松誰が松誰が植えた。白い源太がてかけ松」というのが記されている。 また、遠江風土記伝の中にも、此世杼利歌の本歌として、「大奥瀬尻。奥瀬尻。小仏山之奥瀬尻」というのが紹介されているし、 同じ風土記伝の山香庄横山熊野権現社のくだりに、朗詠及び此世杼利歌として、 「(本歌)天神の森の楠、もとは一本うら千枝、(末歌)千枝にあらねど、三十三本咲いたとな」 「(本歌)梅の木の根に、鞠を揚げたれば、(末歌)鞠は枝に止まって、花は散りたり」というのが紹介されている。 古い時代、篝火を焚いて、部落の人々が相つどい、こうした悠長な歌をうたいはやして踊った風景が目に見える様に浮かんで来る。
    (大井川物語より:原文のまま)

    *部落という単語は差別用語として捉えられる事もありますが、地区という意味合いで書かれていますので、原文のまま掲載しました。
    歌詞の斜体部分が、一部佐澤薬師の冊子と違いが見られます
    *題名が、徳山のひょ踊りとなっていますが、現時点では佐澤薬師のひょんどりとして掲載する事が最も良いと判断し、 Blogの記事の題名を「佐澤薬師のひょんどり」として掲載し、カッコ書きで原文の題名を掲載しています。
    大井川流域の「ひょんどり」が行われていた地区は、確認できているだけでも、地名の阿弥陀堂、久保尾の阿弥陀堂、徳山子安の森、身成の阿主南寺などといわれ、​最も最近まで行われていたのが、佐澤薬師のひょんどりとの事でした。現在では「ひょんどり」はおこなわれていません。毎年1月7日には、お薬師様のお祭りを行い、おこもりの風習も残っているそうです。山香庄横山熊野権現社のくだりに「天神の森の楠、もとは一本うら千枝、(末歌)千枝にあらねど、三十三本咲いたとな」という部分は、神仏混合時代のものと思います。歌詞がそれを物語っています。

     

    佐澤薬師ひょんどりの歌

    • 2016.01.01 Friday
    • 05:27
    心よく持て、峰の花、心わるいと、風に逢う  
    ◎​心わるくは、ござらぬか、立場悪くて、風に逢う

    子持ち姿で、子のなきは、鳥の巣殺し、なされしか  
    ​鳥の巣殺しゃせぬが、殿さしたかも、わしゃ知らぬ

    東山から、西山へ、青い女人の、影がさす  
    ◎​青い女人の、影ではなくて、青い羽織を、着た殿御

    すいも甘いも、身に持つ故に、色づきゃ裸に、なる蜜柑  
    ◎​しのぶあなたの、手ぬぐい取って、月にさせたい、ほほかむり

    赤いさかずき、すむまで待って、待ってちょうだい松の針  
    ◎​世話にしてくれ、わしゃよいとこへ、姑こじゅうとないとこへ
     (上の二首に続く返し歌と思われます)
    姑こじゅうと、あるべきものよ、殿のご器量、よいとこへ  
    ◎​殿のご器量は、どうでもよいが、田地宝の、あるとこへ

    ◎とりが鳴こうと、夜が明きょと、お寺で和尚が、鐘つこと  若いさかりだ、踊ろうよ
    ◎瀬沢平谷の女衆、けつに前掛つっかけて  佐澤薬師にしゃれかける
    ◎いもを食う食うやまいもを、姉さ出せ出せいも茶の子  いもがなければ茶がまずい

    地名か葛籠か、石風呂か、せめて三村に縁ござれ  
    ◎​せめて三村に、縁なくば、地名のおせどの、久野脇は、みかん娘の、名産地

    ◎地名の甚太が、来るそうで、川の瀬がなる、音がする  
    ◎佐澤薬師は、妻薬師、妻と定めりゃきんみょうだ

    女子楽なが、高手山、高手山では、何が楽  
    ​朝日さすまで、寝るがらく、朝日さすまで、寝るわしら

    ◎鏡手にとるひまもない、鏡手にとるひまはしら  たすき投げおくひまもない
    ◎ばんば出せ出せ芋茶の子、芋がなければ茶がのめん  ヒョンコヒョンコ

    ◎地名の平の、女芋、一本百八、子がついた  ばんば出せ出せ、芋茶の子  芋がなければ、茶がまずい、ヒョンコヒョンコ

    島田河原に、昼寝して、あゆの瀬上がり、夢に見た  
    あゆは瀬に住む、鳥や木の枝に  人は情けの、下に住む ヒョンコヒョンコ

    三津間見て楽、居てみて辛苦  苦労した末、半地獄
    ◎​三津間照れ照れ、久野脇曇れ  花の葛籠は、雨となれ ヒョンコヒョンコ

    *佐澤薬師の冊子より


    色々な内容の歌詞があり、大変興味深いものです。和歌などが原点と思われますが、七・五・七・五または、七・七・七・五の音数律を持っている歌詞で、下線の歌詞は、一対の返し歌の形態と考える事が出来ます。七・七・七・五の音数律は都都逸の音数律と同じであり、都都逸の影響も考えられます。また、色艶のある歌詞もみられます。​都都逸の完成は江戸末期とされていますので、その頃に作られたものも現在に伝えられているのでしょうか。

    地名の阿弥陀堂(庚申様のおまつり)

    • 2015.11.19 Thursday
    • 07:55
    JUGEMテーマ:ぶらり旅
    大井川鐵道本線・地名駅から歩いて10分位の所に、このお堂はあります。 以前は、このお堂の前でひょんどりが行われたという事ですが、今では行われていません。 このお堂では、庚申様青面金剛)を祀る行事が行われています。 地名の阿弥陀堂をしたから見ています。この日は庚申様のお祭の日。赤いのぼりが立てられています。

    これは境内の様子です。境内はきれいに掃除され、夕方から始まる庚申様にそなえているのでしょう。

    お堂を正面から見た写真がこれです。正面には、庚申様の掛け軸が掛けられていました。

    地区の方々が集まる庚申様のお参りの様子はこんな感じです。 失われてしまいがちな昔からの信仰が残っているという事は素晴らしい事です。 これからも、ずっと続けて行ってほしいものです。

    奥大井手筒花火

    • 2015.11.05 Thursday
    • 08:04
    JUGEMテーマ:ぶらり旅
    奥大井手筒保存会による手筒花火は、迫力もあり見ていて勇壮です。ドーンという手筒花火の音を体感した方は解かると思いますが、五感を刺激します。川根本町の色々なお祭り・イベントで見る事が出来ます。その一部を書きだしますと、夏祭り「やっちゃう祭」(高郷河川敷広場:8月)、「春を呼ぶ天狗祭」(寸又峡温泉:3月)などです。こちらの方も川根本町のHPなどに掲載されますので、日時を確認して見に来られると良いと思います。

    イベントによっては小さな手筒花火を体験出来る場合もあるので、要チェックです。

    梅津神楽

    • 2015.11.05 Thursday
    • 08:00
    JUGEMテーマ:ぶらり旅
    井川線千頭駅より10番目の駅接阻峡温泉駅より徒歩10分ほどの所に接岨峡温泉会館があります。毎年1月になるとこの場所で静岡県無形民俗文化財に指定されている「梅津神楽」が奉納されます。由来は1480年頃、梅地の祖、筑地清右衛門が京都・梅津の里から来てこの地に住み、村を開き氏神をまつり、自ら神主となって神前に奉納したことが始まりだと伝えられています。舞は、神代の神話・岩戸神楽を模したもので、伊勢流に属し、和楽器の調べにのせて、「鬼の舞」、「金丸の舞」、「天王の舞」など、古式豊かな舞が演じられます。日時は毎年変わるので、川根本町のHPに詳細が掲示されるので、それを参考にしてください。 夜間の神楽になるので、お越しの際には、お車が良いと思います。


    当日は接岨峡温泉会館の2階でおでんやお酒なども売っていて、神楽の休憩時間にちょっとした宴が開けます

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