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    白光神社の梵鐘

    • 2015.12.31 Thursday
    • 14:29
    JUGEMテーマ:ぶらり旅
    大井川鐵道本線:福用駅​近くにある白山神社の梵鐘の逸話です。
    白光神社の梵鐘について
    およそ1,400年前の昔、八高山(海抜832m)の頂上近くに 役の行者によって蔵王権現(現在の白光神社)が祭られた。 江戸時代の 享保四年(一七一九年)世の中は未だ神仏混合の時代。 高熊村民の有志によって子の梵鐘が奉納された。 この鐘の音が 近隣の山々村々に響き渡る平和な時代があり、以来200有余年を経て 先の太平洋戦争が始まり、この鐘も「金属供出令」により、 お国の為にこの地を離れることになった。 その後、鐘の行方を知る事もなかったが、 昭和五十二年浜松市天竜二俣の光明寺にある事が判り、 先輩諸氏のご苦労により、生まれ故郷の高熊に再び帰ることになりました。 釣鐘の里帰りは珍しい事である。
    製作年:享保四年九月、 製作者:駿州森町、鋳物師総大工:山田七郎左衛門、岡野五郎左衛門
    境内鐘楼堂近くの案内看板より

    これが、鐘楼堂の全景です。かなり立派な作りだと思います。梵鐘が戻った経緯は、梵鐘に近くのお寺の光明院の名前が刻まれていたのですが、光明院と光明寺を取り違えてしまい、別の寺院に行ってしまったらしいのです。しかし、ある時に地元の人が光明寺に出かけた時に、白光神社の鐘がある事に気が付き、案内看板にある通り、里帰りしたということでした。
    この写真は、梵鐘をやや下から見上げたものです。ずっしりとした梵鐘です。金属供出され、他の寺院に行き、里帰り出来るという奇跡的であり数奇な運命を辿った梵鐘ですが、今は生まれ故郷で静かに地域の人達を見守っています。この梵鐘に不思議な力が宿っているのでは?と思うのは私だけでしょうか?

     

    白光神社

    • 2015.12.31 Thursday
    • 11:56
    JUGEMテーマ:ぶらり旅
    大井川鐵道:福用駅から山側に向かって5分ほど歩いた所に、白光神社はあります。
    御祭神:安閑天皇天之水分神・国之水分神小彦名命。 例祭日:十月十九日。 由緒:欽明天皇の御代二十七年八高山上に社殿を造営して白光神社と称す。 天保十五年辰年社殿修復、明治十二年九月村社に列せられた。 昭和二十一年十月宗教法人令による神社を設立し、同二十七年山麓に鎮座の八幡神社を 現存のまま境外神社として合祀し、白光神社の遥拝殿とする。昭和六十三年に至りこれを修復する。 昭和二十九年四月二十三日宗教法人法により神社を設立登記した。
    境内の案内看板より

    この写真が、白光神社の全景です。厳かな感じの社殿です。右手には手水鉢、左手には鐘楼堂があります。鐘楼堂の梵鐘には、ちょっとした逸話があります。これについては、別の記事として書いていきます。

    この写真が手水鉢です。注連縄が張られています。綺麗に掃除され、信仰が根付いている事を感じ取れる神社です。

    崎平八幡神社

    • 2015.12.30 Wednesday
    • 09:10
    JUGEMテーマ:ぶらり旅
    大井川鐵道本線崎平駅から徒歩で7-8分位の所に八幡神社はあります。崎平駅から362号線に出て、山の方に登って行く道が見えるので、それを道なりに登って行くと鳥居が見えてきます。神社へ続く石段には、手すりが設けられ、登りやすくなっています。この参道には、杉の大木が石段を侵食するように、2本生えています。

    この写真が神社を正面から見たものです。由緒書きなどの看板類は見当たりませんでした。それなので、詳しいことは解かりませんが、八幡神社なので、誉田別尊の可能性が高いと思います。合祀している神社については解からないのですが、地域性により、祭神は大井神社(祭神:弥都波能売神)は合祀されていると思われます。

    神社の中の様子です。天井には、四角い木の枠に紐を通して色紙をつけたものが下げられています。神楽の準備がされているのでしょうか。崎平八幡神社の神楽は一時途絶えていましたが近年復活され本殿の大広間で神楽が奉納されているとの事です。

    家山八幡神社

    • 2015.12.17 Thursday
    • 08:09
    JUGEMテーマ:ぶらり旅
    神社 目次へ
    祭神:誉田別尊
    合祀神社: 天王社(祭神:須佐之男命)・大井神社(祭神:弥都波能売神
    創立年代は不詳ですが、 遠江国山香郡質戸呂庄家山郷堀之内十二ヶ村総社として、 慶長五年極月八幡社として再建されたと伝えられています。 信仰をあつめ、崇敬厚き神社として知られ、徳川幕府より社領地とし石高十石を賜り慶長五年より現在に至っています。 (除地高十石)慶長五年より弘化五年に至る間、 十六回の御造営修復が行われています。 享保十巳年三月には国主代官の参拝された記録が残されています。 天王山鎮座の天王社、字杉の森鎮座の大井神社両社除地高一明治六年上記二社を当社に合祀し、八幡宮と改称しました。 明治四十三年七月一日村社に列せられ、 大正三年八月二十八日幣帛料供進社に指定されました。 昭和二十一年十月二十八日宗教法人令による神社を設立し、昭和二十八年八月一日宗教法人法による神社を設立しました。 昭和四十一年十月十五日拝殿及び社務所の改築並びに御造営を行いました。 十月に行われる、家山八幡神宮秋の祭典(15日以前で15日に近い日曜日)には、 勇壮な山車お囃子で練り歩きます。 氏子当屋組が順番で行い、龍神舞・からくり屋台など、 年々各町内会で趣向を凝らした出し物が披露されます。これが家山八幡神社の全景です。訪れたのが秋だったので、左手のモミジが綺麗でした。

    拝殿の様子です。綺麗に整頓されていて、品格が感じられます。

    こだま石神社

    • 2015.12.17 Thursday
    • 06:49
    JUGEMテーマ:ぶらり旅
    神社 目次へ
    大井川鐵道・井川線の接阻峡温泉駅から徒歩で20分位の所にあります。 駅を出て388号線を左に曲がり道なり進むと接阻峡温泉会館が見えるので、それを過ぎたら一つ目の右に曲がる道を山側に入っていきます。しばらく歩くと、右側にこだま石神社(こだまは漢字表記が難しいため、ひらがな表記としています)の鳥居があるので、そこの石段を登るとこだま石神社です。鳥居がある場所の左側には車が駐車できるくらいの余地があり、案内看板も立てられています。

    祭神:石凝姥命、他2神
    由緒:応仁の乱(一四六七年〜一四七七年)は京都を荒廃 に帰したが、このころ京都梅津に住む築地清右衛門菅原の重常 という武者が都落ちしてこの地に至り梅地村を開き氏神として こだま石神社を創建したと伝えられている。 築地氏は梅地において砂金採取を生業としたので、 祭神は金鉱採掘ゆかりの「石凝姥命」(八咫[やた]の鏡を鋳造した神)を勧請したものであろう。 ご神体は繭型をした円石で閏年の祭りのとき、神の沢でご神体を清める神事がある。 こだま石神社の社名は、昔は兒玉石で、蚕魂ー蚕玉ー兒玉と蚕と石の関係を説く学者もいる。
    (案内看板より、一部抜粋)


    この写真が​こだま石神社の全景です。静かな所で、小川のせせらぎや木々の擦れ合う音などが、心を癒してくれます。

    神社の内部です。清楚な感じがします。こだま石神社には、「梅津神楽」が伝承されており、1月の第三土曜日に接阻峡温泉会館で奉納されます。


     

    抜里八幡神社

    • 2015.12.12 Saturday
    • 16:49
    JUGEMテーマ:ぶらり旅
    大井川鐡道本線・抜里駅から徒歩で15分位の所に鎮座している神社です。抜里駅から国道473号線に出て、 右手に曲がり、少し歩くと山側に入る細い道があるので、そこを入った突き当りです。 国道473号線から神社の入る道が解かり難いので、近くのお店(久米辰次商店)で聞くと良いと思います。 祭神は、誉田別尊素戔嗚尊武内宿弥伊邪那岐命天児屋根命。 境内内社は、山ノ神社、大山祇命。 例祭は、10月16日となっています。

    由緒:創立年代は不詳なるも口碑に延元年間社守中村左衛門 遠州三栗村より移りきて 氏神として抜里字綱操一三五七番地に八幡神社を勧請奉斎した。 同村字片瀬鎮座八幡神社、白山神社、字寺山鎮座大井神社同村社守白滝長太夫の勧請といわれ、 除地高寛分二年八幡領天王領として七。 大正十年二月前記三社を合祀し、昭和十九年十月一日現在地に御遷座奉斎した。 その際、本殿・拝殿の御造営に当たり総代中村京一郎氏の所有山林 一歩、畑二畝二十歩を寄進された。 また、氏子山本喜三郎所有宅地十坪を参道として寄進せられた。 昭和二十一年十月二十八日宗教法人法令による神社を設立し、 昭和二十八年七月八日宗教法人法による神社を設立登記した。
    (境内内案内看板より)


    この写真が、抜里八幡神社の全景です。右手には杉の大木が見えます。手前には茶畑が広がっています。

    立派な鳥居の後ろには抜里八幡神社が鎮座しています。

    *口碑:言い伝え​
    *奉斎:神仏をつつしんで祀ること。つつしみきよめて祀ること。
    *除地高:江戸時代、無年貢地である除地の高反別が検地帳などの諸帳面に明記されているもの。

    不動神社

    • 2015.11.29 Sunday
    • 06:50
    JUGEMテーマ:ぶらり旅
    大井川鐵道本線の下泉駅から徒歩で20分位の所にこの神社はあります。不動の滝に行く途中の、遊歩道を歩いて直ぐの位置です。
    不動神社には、日本武尊(やまとたけるのみこと)が祭られています。例祭は7月28日に行われます。不動の滝の守り神として崇められ、多くの人が参拝に訪れます。 不動の滝は、小河内川の支流に当る横沢の下流に位置し、高さ45mの雄大な地域を代表する名瀑です。 (季節を映し出し、それぞれに変化する風景は、四季を通じて人々を魅了しています) 横沢には「わん淵」という昔話が、今に伝えられており、不動の滝が、古くから地域の人々から崇められていた様子が伺えます。
    (案内看板より)
    この神社は、明治維新の時、廃祠されてしまったのですが、その時の神主が祭りをやめるに忍びず、自分の家の斎床にうつして奉斎し、現在に至ると伝えられています。 不動神社を石段から正面に見た写真です。小さな祠に鞘堂が建てられています。この事からも、信仰の厚さを伺い知ることが出来ます。
    これが祠の写真です。中には厨子が納められているようでした。

    田代の大井神社

    • 2015.11.20 Friday
    • 11:47
    JUGEMテーマ:ぶらり旅
    大井川鐵道・大井川本線の千頭駅から徒歩で10分位の所に、田代の大井神社はあります。 御祭神は、彌都波能売神菅原道真命。例祭日は9月15日。

    総研年代は不詳なれど、口伝によれば文治年間(1185年頃)都落ちらしい3兄弟が 村を開き、その際大井川湖畔の杉の大木の許に当社を鎮座したと伝わる。 その大木が御神木として現存す。その後、延宝6年(1678年)1月改築。 其来現存する棟札は改築6回。明治8年神社調の際村社に列し、 大正4年11月神饌幣帛料供進社に指定される。平成3年9月社殿を全面改築立て替えて 現在に至る。
    (神社前の案内看板より)


    この田代大井神社で田代神楽が3年に1度の大祭りで奉納されます。 しかし、地域住民の高齢化や田代神楽保存会員の後継者不足などの理由で、開催が見送られる事もありました。

    巌室神社

    • 2015.11.13 Friday
    • 03:22
    JUGEMテーマ:ぶらり旅
    この社は、大井川鐡道本線・金谷駅から徒歩3分位の所にあります。 駅を出て階段を下り、すぐ右手前方に鳥居が見えるので、そこを入っていきます。 東海道金谷宿の氏神として祀られています。 鎌倉時代前期の正治元年(1199年)には、金山彦命(カナヤマヒコノミコト)・瓊々杵尊(ニニギノミコト)・木花之開耶姫命(コノハナノサクヤヒメノミコト)が祭神として祀られていました。 明治3年、社名を若一王子神社(にゃくいちおうじじんじゃ)から巌室神社に改称しています。 境内には、庚申社や金毘羅社などの摂社があります。

    正面の石段を登ると本殿です。 駅からほど近いのですが、綺麗な森の中に本殿はあります。お祭りの後だったのでしょうか、いくつもの御幣で結界がつくられていました。

    赤いのぼり旗が立てられている石段を登ると「巌室稲荷神社」があります。巨石の岩陰にお稲荷様が祀られた磐座(いわくら)信仰のパワースポットです。 巨石の室にお稲荷様の祠が祀られています。

    その祠の周りには、沢山のお狐様が祀られています。それを見るだけでも、この神社が信仰を集めている事が解かります。
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