山間の細い道を行くと、急な斜面に張り付くように何軒かの 家が建っています。 一人の坊さんが村への道を急いでいました。 一軒の戸を叩き、「今晩、軒先を貸してほしい」とお願いすると、 爺さんと婆さんの二人暮らしで「何もないが外は冷えるから」と 囲炉裏のある台所へ上げてくれました。 婆さんは坊さんのために「何も無いが、 この粥でも食べておくれ」と勧めました。 決して楽な暮らしではなさそうなのに、見ず知らずの旅人に・・・ と坊さんは涙を流しました。 粥の中には米粒はなく、粟と稗にちいとばかりの野菜だけ、 村人は毎日こんな粗末な食事をしていたのです。
爺さんの話では「いつの頃からこの土地に住み着いたかわからんが、 見ての通り貧乏暮らし。猫の額ほどの畑に粟、稗、蕎麦を作って、 普段はこんな粥を食べている。米飯なんか 正月くらいしか見たことないなぁ。」
婆さんも「死ぬまでに一辺、白いまんまを腹一杯食べてみたいもんだぁ。」
そう言うと二人は顔を見合わせて声を立てて笑いました。
帰りぎわ、坊さんは袋の中から小さな種を一つかみ出して 「これを畑に蒔いてみてください。」と渡しました。 その種を蒔き丹精込めて面倒見ると、葉っぱは大きく、 その下には太い白い根がある、今まで見た事もない野菜が出来ました。
「婆さん、こりゃあ何と言うもんずらぁ。」
「どうして食べたら良いかもわからんなぁ。」
「粥にでもいれて食べてみっかい。」
その晩、この野菜で雑炊を作ったところ、
「お爺さん、これ美味いよ!」
「おお、こりゃ美味い。村の衆にも分けてやらっかい。」 二人は手分けして村の人たちに、その野菜を分けて歩いたのでした。
「婆さん、今夜は蕎麦にして、その中に入れてみるかい。」 蕎麦に野菜を千切りにして入れてみました。 「こりゃあ美味い、美味い。」 二人は大喜び。いつしかこの村では、物時にあの野菜を使って 作る蕎麦を食べる習慣が生まれたのです。
何年か過ぎて、再び坊さんがこの村を訪ねました。 「わぁ〜あの時の坊様だぁ。」 二人は村中に「あの白根の種をくれた坊様が来た、皆家にきてみてくりょう。」 と言って廻りました。
さあ、村中は大騒ぎ、 「坊様、坊様からいただいた種を蒔いたら、美味しい野菜がとれました。 今では村の皆がその野菜を作って助かっています、ありがとうございました。 今夜はそのお礼に婆さんが蕎麦を打つから食べてください。」 さあ、それから婆さんは大忙し。 蕎麦を挽き、熨して(のして)、茹で上げる。 一方ではあの野菜を使って蕎麦の汁を作る。 ようやく蕎麦が出来上がりました。
「坊様、この蕎麦の中にはあの野菜がたくさん入っています。 この村自慢の蕎麦です。食べてみてください。」
坊さんが一口食べて
「ああ、これは美味しい」というと、 わーっと喜びの声が上がりました。
「ところで坊様、この野菜は何というのかね。」
「これは申し訳ない、名前を教えてなかったな。昔、西洋から中国へ麦の 中に交じっていた雑草でな、それが中国で育てられて「オオネ」と言うそうだ。それを漢字に 当てはめて「大根」、ダイコンになったそうだ。 坊様は、今食べた蕎麦が大変美味しかったので、 村の人々に「この蕎麦を「大根そば」という名前にしたらどうだ。」と言いました。
「大根そば、おおい皆、坊様がわしらの蕎麦に名前をつけてくださった。 大根そばだってさぁ。」大根そばの誕生を喜びました。
次の朝、爺さんと婆さんはすっかり寝坊してしまいました。 坊さんがいつ出て行ったのかも知りませんでした。 風の便りに「聖天様の化身が旅僧になって貧しい村々に大根を広めて歩いている。」 という噂が聞こえてきました。
遠い昔、貧しい暮らしの中で生まれた「大根そば」のお話です。 豊かな時代になるといつしか忘れられ、家庭で作られることもなくなりましたが、 子供の頃に食べたあの味が忘れられない・・・。大勢の人々によって、 「大根そば」はこの地で再び甦りました。
ダムジン 第9号 原文のまま
いわゆる「かさまし料理」である「大根そば」を民話に仕立てた話だと思います。旅の僧が、聖天様の化身と言う件は、歓喜天(聖天様)の供物が、酒と大根である事から、結びつけたのだと思われます。因みに、民話の中には、お酒の件は出てきません。大根そばは、川根に伝わる郷土料理です。各家庭で具材や味付けが違うようで、その家々の味があるようです。写真で紹介するのは
三ツ星村の大根そばです。具材は、大根は勿論、鶏肉、油揚げ、椎茸、ニンジンなどが入っていて具だくさん。ネギ、けずり節、刻みのりもトッピングされています。
栃木県佐野市にも「大根そば」という郷土料理がありますが、川根地方の大根そばとは、全く違ったお料理です。